指環物語

 



「おいラジ、飯喰いに行こうぜ」
「…………」
 相棒の誘いを無言の壁で封殺しながら、ラジウムは相変わらずその赤目を手元に落としていた。
 猫背を更に丸めて、一心に何かを弄っている。
「なんだよ、一人でお楽しみか?」
 下品な冗句を飛ばし。相棒は熊のような手で、対比したらリスのように小さいラジウムの肩を軽く叩いた。彼なりのスキンシップだ。このとき彼の頭の中に、本当に『お楽しみ』の最中だったらどうしようか、ということは含まれていない。
「あ」
 初めてラジウムが声をあげた。呆気にとられたような、半分苛立ちが混じっているような。
「……何すんのさ。リリィ」
 振り返ったその顔は、隠そうともしない仏頂面。
 そして、僅かに流れた鉄の匂いを、相棒──リリィはしっかりと嗅ぎ取った。
 無言で手首を捕まえる。ぐいと引っ張れば、痛いと咎める声。
 目の前まで差し上げた左手。骨張って細いばかりのその指に、ざっくりと瑕がついていた。見た目より出血が多くて、手首を伝って血の筋ができている。
「お前っ……何だこれ。どう…、」
「ちょっと手元が狂っただけ。そんなに深くない」
 離してと一言。しかしリリィは離さない。その間も傷口からは新たに血が流れつづけていて、ラジウムは一つ溜息をついた。
「リリィ」
 椅子から腰を浮かせ、背伸びで黒瞳を覗き込む。間近に迫った血と同じ色に、ようやくリリィも気がついた。
「……あ、わり」
「いいってば、気にしないで?」
 リリィは叱られた犬みたいな顔をしていた。示しがつかないと云わんばかりである。ラジウムはもうひとつ溜息を追加してから、瑕をタオルで押さえた。
「怪我くらい、いつものことでしょ」
 椅子に腰かけなおして突っ立ったままの相棒を見上げる。肘をついて半身を開くと、机の上にずらりと並んだ工具。それと、銀の指輪がひとつ。ラジウムはそれを片手でひょいとつまみあげて、軽く口吻けた。恋人にするようなそれではなかったけれど。
 それを放り投げられて、リリィは慌てて受け取った。大きな手には小さすぎるサイズの指輪。よくよく見れば、細かい紋様は面の半分にしか彫られていない。
「こりゃあ」
「銀細工」
 ラジウムは片手で器用に工具類をまとめながら云った。久し振りに作ってみようと思ってさ。小遣い稼ぎ程度にはなるんだよ。他愛も無いことを零しながら、それらを革袋に収めてゆく。慣れた手付きを見て、一朝一夕のものではないことにリリィは気付いた。
 彫られた紋様を確かめる。植物を象った絵文字が半面にびっしりと描かれたそれは、きっと女物なのだろう。細く、胴回りも幾分小柄だ。銀の表面はは瑕一つなく磨かれ、完成すればそれなりの値で売れるのは間違いなかった。
 ラジウムにそんな細やかな感性があるとは、そこそこ意外ではあったのだが。
 飯に行こうと階下に誘う声。ようやっとリリィは本来の目的を思い出す。ここまで来ると、怪我の一つは問題ではない。先を越されまいと足音も高く、リリィはいそいそと階段を下った。





 旬の野菜のサラダ、鴨のロースト、パイ生地で蓋をしたクリームシチューのつぼ焼き、デザートには果実をふんだんに使ったタルト……とはいかないのが世の常で。
 今日も今日とて化け物の餌定食を貪りエールを飲み干す日々である。リリィは全く問題ないが、化け物の餌を嫌って嫌って嫌いぬくラジウムには地獄のメニューだ。いかにして気付かれず、自分の分をリリィの皿に放り込むかが毎日の悩みの種であった。
 今日はリリィが女将と話している隙に忍ばせた。危なかった。女将のフォローが無ければ見つかっているところだ。感謝しつつ、ミートボールを口に放り込む。付け合わせは緑色ハーブのおひたし。相棒はこいつを苦いと云って嫌っている。
 そろそろ宴も酣といったところか、リリィの怒涛の呑みっぷりが下火になってきた。ラジウムはとうの昔に根を上げて、お冷で頭を冷やしている。
 おもむろにラジウムが椅子から立ち上がると、リリィの黒瞳が緩慢にそれを捉えた。
「おれ、先に部屋帰るね。やりたいことあるからさ」
 まだ呑んでるでしょ。そう云ってラジウムは自分の勘定をカウンタに置き、ほろ酔いの覚束無さげな足取りで階段を上っていった。
 伸ばしかけたリリィの腕は、細い肩を掴むことなく。
「なんだい、鬼百合さん。呑む相手が居なくて寂しいのかい?」
 女将の悪戯っぽい問いかけに、
「いや……勘定が足りねェな、と」
 ともあれ、ラジウムは早々に部屋に引っ込んでしまった。まだ微妙に呑み足りない気もするが、女将の云う通り、独り酒というのも少々虚しい。
 たまには早めに切りあげるのも悪くなかろうと、リリィが上着のポケットを漁れば。
「……?」
 こつりと指先に当たる硬い感触。平たくないから硬貨ではあるまい。何かと思って取り出してみると、
「おや、指環じゃないか!」
 ひょいとカウンタから身を乗り出した女将が、リリィの手の中を覗きこんでいた。
 指にひっかかった銀の指環。ラジウムから受け取ったまま返すのを忘れていた。女将にしてみれば、普段女っ気の無いこの男が女物の指環を手にしている理由など一つである。この間見合いを勧めたが、動揺に動揺を重ねた癖、なかなか大したタマじゃないか。
「あ、いや、これは……」
「ちょっと皆、聞いておくれよ!」
「や、女将、こりゃそういう奴じゃ……」
「この色男がねえ……!」
「いや、違うッ……!!」
 毎日怒号と紛う喧噪の中で鍛えた喉の破壊力は凄まじかった。
 よく通る女将の声は、何事かと注目する客たちの耳に空恐ろしいことを吹き込んだのだ。
「遂に身を固める決意をしたよ!」





 誤解だ。それも、この上なくありえない誤解だ。
 その場に居た何人かは、聞き違いだと思ったのだろう。聞き違えるほど複雑な内容とは思えないが。いっそ聞き違えたままでいて欲しかった。これ以上の不幸は襲ってこないだろうから。
 冒険者だけなら、冗談の一つで煙に巻くことだって可能だったろう。よくある話だ。女将の説得には梃子摺るだろうが。
『オレのリアルラックは極めて低い。』
 身に沁みるほど理解していた筈だ。納得だってしていた筈だ。
 今日ほど、それを理不尽に思ったことは無い。
「へェ、こんな熊並みをもらってくれるコが居るとはねェ」
「結婚するんですか? 兄さん」
 この二つの声が聞こえなければ。
 油の切れた機巧もかくやという動きで、リリィは戸口を振り返る。
 いつもへらへら笑ってる知り合いの鍛冶屋と、クソ生真面目な弟が、丁度狩りから帰ってきたところだった。
 殺意を炎にするならば、今、この酒場は愚かイズルードの街自体が燃え尽きただろう。
「ご……」
 誤解だ、と。あまりのことに、喉が詰まって言葉が出ない。
「なるほど結婚ねェ……お兄さん、リリィがそんな甲斐性あるなんて知らなかったなァ」
 何がお兄さんだ男のケツを追っかけてる変態でしかもオレより年上の癖に。
「俺も知りませんでした。それで、式はいつなんですか?」
 オレは昔から思ってたんだがこいつの生真面目っぷりは天然じゃないのか?
 眩暈がしてきた。思考回路はショート寸前である。
 ありえない。
 たかが指環一つで、何でオレがこんなメに遭わなきゃならないんだ。
 誤解もいいところ。これは相棒が手がけ途中の商品なんだよ!
 ……と、口に出して云えたらよいのだが。
 酒場に居た他の客たちは、幸いというか不幸というか。こぞって新たな門出を迎えようとしている一人の冒険者に祝辞を投げた。そこかしこで乾杯の音頭があがっている。ある意味本当に新たな門出を迎えてしまいそうだ。
 女将は既に、あることないこと尾ヒレ背ヒレをつけまくって吹聴ぶっこいていた。見合いを勧めたのはあたしなんだよだとか、その他諸々。飯は美味いし値段も安いが、今日からはいくら安くても情報だけは買うまい。空想作家並みの大ボラな可能性がある。
 鍛冶屋は酒の肴が出来たとばかり。弟に至っては親切のつもりだろうか、式の経費計算を始めた。
「ところでお相手はどなたなんですか?」
 順当といえば順当の問いが弟の口から放たれた。当人は放心しきった虚ろな視線を、向けようともしない。
「誰なのさァ♪ 教えてよぅv」
 気持ち悪いくらいの猫なで声で追い討ちの鍛冶屋。
「勿論あのコだよね。鬼百合さん」
 確信で眼がきらきらしている女将。
 そもそも誤解なのだ。お相手なんざ居る訳が無い。そんなに期待されたって困る。
 酒場中の期待の眼差しがリリィに集中した、そこへ。
「どしたの? 静まり返っちゃって」
 リリィの心中ブチ壊す呑気な声が、階上から降ってきた。
「ラジウムさん」
 弟が姿を認めた。や、と片手を上げて返し、ラジウムは階段の上からフロアを見下ろして小首を傾げた。
 知り合いの鍛冶屋、相棒の弟、そして女将を始め客の視線は一箇所に集中している。それらを一身に背負った人物は、なぜか放心状態の見慣れた顔。
 よもやラジウムは自分が渡した指環が起こした騒動だとは気付くまい。普通は。
 ぼんやりとリリィの黒瞳が赤髪の相棒を捉えた。
 元はと云えば、あいつがこんな指環を寄越すからいけないのだ。返すのを忘れていたという事実は最早蒼穹の彼方にホームランである。実際ラジウムは返してくれなんて云わなかった!
 よもやリリィはラジウムが指環を返してもらおうと部屋から出てきたとは気付くまい。普通は。
「~~~~~ッ」
 理不尽な怒りが拳に込められた。握り締めた手の中で、指環が潰れていないかが心配である。
 そうして。
「受け取りやがれぇええええええぇええええええええ!!!!」
 一番誤解を受けそうな部分を口にして、リリィはラジウムに指環を投げつけた。


 ……………。


「っとと、危ないなぁ。そんな乱暴に投げなくたっていいじゃない」
 音まで聞こえたほどの豪速球を掌で受け止め、ラジウムは渋い顔だ。


 ……………。


「ん?」
 ふとラジウムが気付くと、現場の視線がゆっくりと動いている。
 自分と、相棒の間を。
 耳が痛いほどの沈黙。視線だけが何往復かして。
 沈黙を破ったのは、女将の言葉だった。
「鬼百合さん……あたしの勘違いだったよ」
「え」
 誤解が解けたのか。よかった。そうなんだ、あの指環はラジが作りかけの……、
「そうだよね、ラジちゃんも、細いもんね」
 商品…で……、
 そのとき、リリィは自分が犯した間違いに気付いていなかった。
「リリィ……残念だけど」
「あ」
 鍛冶屋が、神妙そのものといった視線を向けた。
「男のコとは、結婚できないよ」
 そのとき、リリィは自分が犯した間違いの可能性について考えてショートした。
「兄さん……まさか」
「は」
 弟が、まるで可哀相なものを見るような眼で見ていた。
「そこまで本気なら、俺は何も云いません」
 そのとき、リリィは凡てを理解し、凡てを否定した。
 客たちが次々と席を立っていく。ヤジを飛ばす暇人は居なかった。いっそ罵ってくれ。願いは届かない。
 燃え尽きた。真っ白に。
 崩れ落ちるリリィの眼に、さっさと部屋に戻った相棒の背中は見えなかった。



 その日、イズルードからモロクに至るまで、聞いた人間を恐怖のドン底に突き落とすような暗い悲鳴が観測されている。













【指環物語】03.5.14.4:34
銀の話じゃない銀の話。
冥福を祈る。



後日談
リリィ「祈るなァ!!」
ラジウム「そうだよ、貯金も無いのにさ」
ラーク「頼りない男はダメっすよラジさん…」
ネオ「結婚する男性に経済力は最低条件ですよ、兄さん。」
ラーク「リリィ、はい、ゼ○シィ。」
リリィ「……いっそ殺してくれ…」
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by radium_plus | 2006-12-07 00:30 | Works:ニビ
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