ある新月の夜

 



 それは、優しい、とも云える弱さで喉に触れてきた。
 音も立てず、静かに、喉笛に触れる細い指の感覚。
「きれいな首だよね。長くて、細くて」
 赤髪の彼は、目を猫のように細めてそう云った。幾分低いところから髪と同じ色をしたそれが見上げてくる。
 じゃれあう気は毛頭無かった。必要も無いだろう。
 わずかに一歩を退いた俺を追って、彼がもう一歩。
「……何、ですか」
 背が壁に詰まる。宿の裏手に人気は無かった。
 頭上には新月がある筈で。星ばかりが少しまぶしい。
 星の光に照らされた彼の顔を見て、だけどそれはすんなりと納得できたように思う。
「折れそうだなと思って」
 おれでも、と付け加え。人間の頚椎なんて、そう簡単に折れるものではないし、ましてや彼の痩せた細腕ならば尚更だろうと心中。
「冗談はやめてくださいよ」
「あはは」
 ああ、彼はいつもこういう風に笑うのだ。ふざけたような。
 そして多分、『仕事』のときも。
 困ったように、ふざけたように、わらうのだ。
「……なかなか、折れないでしょう?」
「そうだね。でも、仕事だから、仕方ないね」
 やらなきゃ。また、彼は笑う。
 鼻の利く兄を気にして、彼は少しだけ工夫をする。
「折ってみますか?」
 ごめんね、帰るよと背を向けた彼に。
 なんとなく、そんな言葉がついて出た。
 俺は嘘や冗談が下手だから。
 振り返った彼は、また笑っていたのだけれど。
 云いだしたのはこっちなのに、少し悔しかった。
 顔に出たのか、彼は小さく肩を竦めて、


「──────」


 言葉と同時、沙漠地帯には珍しい湿った風が吹いて。
 瞼を打つ砂に、思わず目を閉じた。
 風が吹き抜けた後は、口の中はじゃりじゃり云ったし。
 さっさと帰ってしまった彼の姿はなかったけれど。
「……ッ、くそ」
 砂と一緒に、捨て科白を吐き出した。
 首をかばうように触れれば、じっとりと汗ばんで。
 今日は、眠れそうにない。
 壁伝いに座り込んで、思い出したくも無い言葉を、反芻した。
 彼はやっぱり、わらっていた。



 ───『いいの?』











【ある新月の夜】03.07.31.0:47
何が書きたかったのか不明。
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by radium_plus | 2006-12-07 00:32 | Works:ニビ
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