【タイガーリリィと暗闇の部屋】

 



吊り下がった死体は、見た目にも死因が明らかだ。
斬り傷刺し傷それ以外、火傷に凍傷何でもあれど、これほどわかりやすく親切な死もあるまい。調べる方にとって。
「まだ臭くねェし、な」
たったいま、頭上の穴から滑り落ちて来た男は、冒涜と警戒を織り交ぜて呟いた。蜘蛛の巣にまみれた長い黒髪を払い、場所を見回す。
灯りは無い。
古い遺跡だから当たり前の話だ。だったら、と地面を見た。遺跡なら、命知らずの冒険者の人骨一つ、古びた死人着の一枚でも転がっているものだ。そういったものを即席たいまつにするのは、冒険者の基本といえる。
「…ちっ。」
無い。
石造りの床に染みているのは、年月と埃と、あるいは乾いた黒い何かで、一切何も落ちていなかった。
何も。
「歩くしかねぇな。」
男は騎士だった。身体を張って前衛を切るのは慣れていたが、それだけに後衛の無い状況というのはあまり、経験がない。
こうして仲間とはぐれる事を計算に入れず、ランタンすら持ち合わせていなかったのは明らかに手落ちだ。知らず知らずのうちに、頼る癖がついていた証拠だ。
「…。」
反省は生き残った後だ。生き残れたなら反省なんかいらないが。
ここは状況の把握をすることがセオリーかと、暗がりの中、男はぼんやり今朝方からの記憶を反芻した。
(見つかったばかりの遺跡があるって聞いて、来たんだよな。)
万年炎暑にあえぐ沙漠の街くんだりまで来たのは、そのためだった。
(皆、ヒマだったしな。大勢なら怖くねえだろ、と。)
ギルドマスターである男の相棒は、外見はそうと判らないほどの高レベルを誇るアサシンだ。トボけた面をしているが、仕事はカタい聖職者も居る。ちょっと見た目も潤う女魔術師も、三人まとめて腕が良い。あれで三人とも胸がありゃもっといいのにと平素から男は思っている。
…これだけ居れば、ちょっとデカいのが来ても平気だろうと、ロクな準備もしないままにやってきた。
(で…)
男は視界に広がる現実を認めた。彼だけが落とし穴に落ちた。
墜落死を望む罠ではなかったのだろう。ダストシュートよろしく落ちて落ちて今ここにいる。
(連中は…来ねぇな。)
魔術師三人、聖職者一人、暗殺者一人。
だれが自分を追って来たにしても、生存率が減るだけだ。
全員来るなど愚の骨頂。何よりロープが無い。
(…ロープ、なあ。)
男はちらりと視線を上げた。
首吊り死体だ。
「脈絡が無ぇんだよな…」
あの足を見るに女性のものだろう。暗闇に白く浮き上がる二本の肉は、怪物や魔物とは違う類の恐怖がある。
薄気味悪い。
これが腐っていたなら、あるいはカラカラに乾いた白骨だったなら男は得心して進んだろう。
(…まだ臭くねぇ。ってことは…)
あれは首を吊られてから、そう時間が経っていないのだ。
ならば。
(首を吊らせるヤツがいやがる。)
単純な話だ。
男は肩に備えた大剣を抜き放ち行動を開始した。即ち、前に進むこと。
一歩進むごと金属鎧がぐしゃりと音をたてて、暗闇に静かに染み渡っていく。
ぐしゃり。ぐしゃり。ぐしゃ
「あ?」
警戒の足音は、二十歩と進まず怪訝な声に上書きされた。
ぶらんと下がったもうひとつに。
(…首吊り死体?)
後ろを見れば、暗がりに慣れた目が、女の首吊り死体を見つける。
前を見れば、暗がりに慣れた目が、やっぱりもう一つ見つける。
(いや、今度は…)
今度の死体は男だ。吊り下げられた様は女と全く一緒であったが、靴や衣類が明らかに違う。
別の屍体だ。
「遺跡で集団自殺ってか…?」
湧き上がる恐怖を唾液と一緒に吐き棄て、疑問さえ胸に押し込めてもう一歩を踏み出す。ぐしゃり、ぐしゃりと。
「…。」
ぐしゃり。ぐしゃり、ぐしゃり。ぐしゃり…
ぐしゃっ
「…ちょっと待て。」
誰に言ったものなのかは、男自身すら定かでない。
ぶらんと闇から下がる足。
「何人ぶら下がってやがる?」
次のは自問だ。自問を解決するために、男は、改めて周囲を見回した。
今度は何かを発見しようと、闇に慣れた眼で見回した。
ひとつふたつみっつ
「ねえ?」
「!?」
声は唐突にかけられた。
「覚えてる?」
「な…?!」
「覚えてる?」
可愛らしく、自信に満ちた声が繰り返す。
「私の事覚えてる?」
男は声の出所を探した。異常事態だ。暗闇と屍体の部屋で声がする。
「ここにいたのに」
「…どこにいやがる?」
「ここにいるのに」
手には大剣がある。身は鎧が護る。何を恐怖することがあろう。
男の脈拍が上がる。恐怖にか興奮にか。
「ここにいるのに」
「私の事覚えてる?」
「な……?」
声は女のものだ。
傍らにぶら下がる屍体は女だ。
屍体は喋らない。
「私の事おぼえてる? 私のことおぼえてる?」
「私の事覚えてる? ここにいるのに。」
「私の事覚えてる? 覚えてる? 覚えてる?」
(増えた!?)
男は身構え、ついで何処に対して身構えるべきか暗闇に迷う。
脈拍が上がる。増えてゆく声に。
「私のこと覚えてる?」
「知るかッ!」
怒号と共に大剣が腐った空気を斬り、屍体の足を深く抉った。
「ここにいるのに。」
「ここにいたのに。」
「ここにいるのに。」
(消えねえ!!)
もう暗闇は、自己主張の呟きで満ちはじめていた。
ここにいるのに。私の事おぼえてる? 私のこと覚えてる?
ここにいるのに。
「…っそ!!」
男は大剣を大きく振るった。何も触れない。周囲に敵は居ないのに。
気が狂いそうだった。
「思い出してくれないの?」
「私の事覚えてる?」
「思い出してくれないの…?」
男は駆け出した。処置無しだ。逃れたい。とにかく逃れなければ。
がしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃっ
「思い出して」「思い出「ここにいるのに」してくれな「ここにいたのに」いの「思
い出して」?」「私のこと覚「思い出して」えてる?」「思い「わたしのことわたし
のことわたしのことわたしのこと「りりぃーっ?」わたしのこ」
満ちた声の中に男は縋った。
「ラジかッ!?」
「りりぃーっ? そこにいるのー?」
自分の名を呼ぶ相棒の声が、天井から降った。ざわめきは相変わらず満ち満ちていた
が、少し高い声はよく聞き取れた。
「ここにいるっ! 何でもいいからこっから出せッ! 気味悪くてかなわねえ!!」
「うんー。ちょっとまっててねー」
相棒の声がこころよく承諾し、男は少なからず安心して立ち止まる。情けない、とは
思うが、とにかくこの場から逃れたい。
「これにつかまってー」
するするする、と男の目の前に細長いモノが降りて来た。ロープだ。
「引っ張り上げるからー。つかまってー。」
部屋はざわめきが一層増え、中には男のものも混じり始めた。覚えてるか?私を、俺を、わたしを。思い出して。オレを。あたしを。僕を。
「早くつかまってー」
覚えてる。
大剣が狙い違わず、ロープを断ち切った。
途端。
絶叫が、ざわめきを圧した。
「馬鹿野郎。あの野郎がロープなんぞ、持ち歩くか。」
絶叫が韻を引いて消えた部屋に、ざわめきはもう無かった。
代わりに、無数の絞首屍体が床に落ち伏していた。

「イシュタム?」
安宿のベッドさえありがたいと、これほど感じたことはあったろうか。実はしょっちゅうだ。
沙漠の街に何とか帰還した男は、聖職者にオウム返しに聞き返した。
「ああ。だから我々はあの後、すぐに引き返した。」
聖職者は肩を竦め「君を救い出すときかない奴もいたがね」とつけ加えた。
「フォローはいい。イシュタムって何だよ。」
「自殺者の女神、首吊りの守護者と言われる、異教の神だ。」
銀髪の聖職者は、聖書を閉じ十字を切って続けた。
「悲しみの淵に沈んだ自殺者の魂を慰め、聖なる宇宙樹の下に眠らせる。我々は彼らの聖地に足を踏み入れてしまったのさ。」
ピラミッドのような、贅を凝らした王の死地とは違う、自殺者を悼む墓碑に。
「…そりゃ悪かったな。」
「君が会ったのは、イシュタムの遣わした墓の番人だったんだろうな。」
恐怖など久しく忘れていた男は、聖職者に詳しくは語らなかったが、恐らくお見通しなのだろう。「懲りたろ?」と一声かけて、部屋を辞していった。
「…」
部屋の扉が閉まり、男は一人になった。
(…「私を覚えてる?」…か)
「そりゃまあ、なあ…」
四角く切り取られた、沙漠の空は異様な青さだ。
男は天を仰いで、ひとりごちた。
「ま、お前は女神サマんトコで、ゆっくりしてろや。」
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by radium_plus | 2006-12-07 11:37 | Works:The Bishop
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