【プロのどこに劇場があるのかとかは突っ込まない方向で】

 



そのチケットの価値はおおよそ、眩暈がしそうな高級なレストランで、ディナーがフルコースで3回はいただける程度のものである。
ひらり、とアールデコ調に星空を描いたその紙切れを眺め、男は溜め息をつく。
頭上の空は晴れていたものの、彼の心の中では、嵐が雷を撒き散らしている。
出来る限り眼を逸らしたい現実の嵐だ。
その暗雲の正体は。
「クソ」
首都で人気を博す演劇のプラチナチケット。…本日の売れ残り、というやつだ。
「不良在庫、の間違いだろうが」
どうせ確定している。売れるべき時に売れなければ、それまでなのだ。
上流貴族を相手に嗜好品を売り捌く事を生業としている彼だからこそ、そんな絶望的な事実を悟ってしまった。
望みを絶つと書いて絶望。
男は街灯に凭れかかり、掌に置いていたそれを人指し指で弾いた。上質紙がパシッと小気味良い音をたて揺れる。
いかに人気を博しているとはいえ、人気に見合ったロングランを果たしているこの舞台だ。
そこいらの一般市民ならともかく、プラチナチケットが上流階級に不足しているわけは無かったのだ。
そこを見越せなかった己自身にも腹は立ったが、更に腹の立つ考えが胸のうちにある。
どうせ売れないなら観てしまおうか、と。
この舞台を観てみたい、と、言っていた奴がいたことを思い出してしまったからだ。
緩く編んだ髪を弄る癖があるそいつは、いつも微妙な俯き加減で喋る。笑い顔を初めて見たのがその話題をしていた時だったから思い出したのだ。
時間が無くて、チケットを取る事が出来ないから無理ですね、と少し苦く笑うその顔。
「…いや、そういうのもな?」
このチケットは売り物だ。あくまで。売り物に手を出すなど商人にあるまじき、ましてや元手だってまったく無料というわけではない。正直、3日分くらいの稼ぎがパーになる。否、それは自分の落ち度だからして、それはまだいいにしても、「ただ余ったから」という理由で誘うなど最低だ。だがこのまま折角のチケットをタダの紙ッ切れにするのか。オイそれはどうなんだ2階右正面ボックス席。上流階級に売り込むのは無理でも裕福な一般市民にだったら…無理か。どちらかというと間近で見られるA席の方がウケがいい上ボックスともなるとそれなりの服やアクセサリーも欠かせなくなってくる……
カァン。カァン。
「!」
甲高く、それでも澄んで響き渡る教会の鐘が彼を、思考の泥沼から引っ張り出した。
「何、考えてんだかな。」
時刻は昼を少し回ろうとしていた。
(…二時間近くもチケット観察と洒落込んじまったってか。)
首都の雑踏は、チケット観察が趣味という奇人の一人や二人は見逃してくれようが、このままこうしていると、街灯の火入れ役人に追い回される破目になりそうだ。
「…。」
よっこいせ、と、背中を細い円柱からひっぺがす。
生まれながらに街灯を背負っていたんじゃないかと思うほど馴染んでいた背中を、ひとつ伸ばして息をつく。
「情けねえ話だ…」
自嘲に近く独りごちて、二枚のチケットにまたちらり、眼をやって。
数秒迷った右手は結局、乱雑にチケットを尻ポケットに突っ込んだ。
一歩踏み出せば、上質紙に皺が寄った感触。
「ッく…!」
商品として致命傷、もうこの二枚に大金を費やす馬鹿は居ない。グッバイ三日間の労苦。
「がーッ、糞ッ。」
悔しさと、逃げ道を塞いだ事による安堵を悪態で吐き出してやりすごす。大変なのはこれからだ。
魔女無しでシンデレラを作り出すには、大分手間が掛かる。


彼が生業柄常備している万年筆で、メモ帳に魔法の材料をあらかた書き終えた頃には。
チケットの席番号を見て卒倒した彼女が、どうにか眼を醒ましていた。






【○少々気取ったドレス ○流行の髪結いへの予約 ○アクセサリー二種(髪に些少とコサージュ) ○靴(ガラスに非ず) ○バラ(リボン必須)。】
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by radium_plus | 2006-12-07 11:50 | Works:The Bishop
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